台詞もいくつか科学してきたけど、こんな長ったらしいのはもちろん初めてである。何せ、本当にこれがひとつの「」（かぎかっこ）で括っていい台詞なのかどうかわからないのだ。本当は感嘆符「！」もつけたいところだし、実際そういう言い方もしていたのだけど、それだって台詞のニュアンスから出てきたものかも知れないし。こういうとき「ああ、プログラムに脚本が出てたらなあ」としみじみ思ってしまう。また、ここのたあたんの間の取り方が長かったりしたものだから、ひとつの言葉かどうか、最後までわからなかった。どこかで切れないものか、と思ったんだけど、これはこれで最後まで続けないと意味をなさないかな、という気もしたので、とりあえずこれぜーんぶってことにしてみた。
つい１ヶ月ほど前まで頻繁に聞いていた台詞である。今更書かなくてもよーくご存じだと思うけど、いちおうおさらい。
『花の業平』の大詰め、まもなく入内する高子が叔母の住む東五条第を訪れていると聞き、業平はこれが最後のチャンスとばかりに高子奪取を試みる。作戦は成功し、２人は手に手を取って京を離れようとする。やっと再会できた恋人たちの、束の間のひとときが切なく美しい。しかし、それに気付いた基経らの追跡にあい、ついには芥川にある業平の別邸に潜んでいるところを発見されてしまう。「別れ別れになっても、死ぬなよ！」と叫ぶ業平。泣き叫ぶ高子。そこへ現れる基経…弟・国経に高子を連れ出させてから、基経は自ら太刀を抜き、その刃を業平に押し当ててこの台詞を吐く、というか叫ぶ。他の場面では能面の如き冷たい美しさを湛えていた基経、その一瞬彼は仁王のような形相となり、業平の前に立ちはだかる。その２人の様子はあたかも、藤原氏と摂関政治の前に勢力を弱めていく他の氏族と、それぞれの象徴のように見える。こうして高子は基経に連れ戻され、あとには業平が１人残される。悲嘆にくれる彼の背後には、燃えるように赤い晩秋の紅葉が…。いろんな意味で切なく悲しい場面である。
とにかくド迫力だった。ことに、作品は東上するけれど東京では主役が代わる―たあたんの基経は大劇場のみになるということが正式に発表されてから、グングンと迫力が増し、楽間近な頃には最初の「業平！」という叫びで居眠っていた人がガバッ！と飛び起きたという風景が続出。起きて見ていてもビクッとなってしまった…まさに仁王の如き憎々しさ、と申しましょうかね。
この基経の台詞、冷静に考えなくてもかなり回りくどい(^^;)。いちいち「藤原の」「基経の」って、言われなくてもアンタら兄妹は藤原さんやん！って言いたくなる。しかし、劇中でも少しはほのめかされているこの２人の境遇を考えると、この回りくどさの理由もよくわかるのである。
昭宣公藤原基経と二条后高子。同じ父母から生まれた、歴史上あまりにも有名な２人。この兄と妹の関係というのは、いとこの常行と多美子のような平穏なものではない。高子にとっての基経は、兄であると同時に保護者のようなものであるし、基経にとって高子は、自分が藤原氏の中でのしあがっていくための大切な手駒であると同時に、末は帝の妃となり母となって、自らの覇権をバックアップしてくれるはずの大切な相手でもあった。
彼らの父は良房の兄長良（ながら）で、基経が２０歳、高子が１５歳のときに死去。当時は母系家族だったとはいえ、後ろ盾となるべき父を早くに失った場合、その後の身の振り方が難しいのはやはり同じであった。しかも基経は三男で、家督を継ぐべき立場にはなかった。だが幸いなことに彼は怜悧な切れ者、おまけに、帝の伯父として政界に君臨する叔父良房には、文徳帝に入内した明子（あきらけいこ）１人しか子供がいない。良房は有能な基経に何かと目をかけ、基経もその期待にこたえて良房の片腕に成長していく。やがて彼は、父長良に代わって藤原氏の正嫡を嗣いでいた叔父の猶子（ゆうし＝養子みたいなもん）となり、兄たちをも飛び越えて一族の頂点に立つのである。
一方高子は、良房にも大切な手駒だった。男の子がなかった彼には、女の子も１人しかいない。弟の良相が娘の多美子を清和帝の女御にしている現実を見たとき、仮に多美子に親王が生まれれば…それは即ち、良房の覇権をあやうくすることになりかねず、ひいては、基経の将来をも左右する大問題なのである。高子が入内し、首尾良く親王を生めば、良房は父親のいない彼女の後見役として引き続き廟堂の頂点を維持することができる。美女の誉れ高いとはいえ、清和帝よりも９歳も年上、しかも血縁関係の濃い高子を彼が強引に入内させようとした背景には、こうした事情があったわけだ。
良房の養女という名目にはなっていても、高子の身辺に注意を払うのはもっぱら基経の役割で、良房はあれやこれやと指図しているに過ぎない。そこに養父と養女という感情の交流は殆ど感じられない。結局、実質的に高子を必要としているのは基経であり、業平との恋によって高子が入内できなくなるようなことがあれば、それは即ち失脚を意味するという危機感を持っているのも彼である。このあとの台詞は「おまえ如きに、藤原の繁栄を邪魔されてたまるか」だが、基経にとっては藤原の繁栄＝自分の繁栄なのである。だからこそ「基経への挑戦か！」となる。そりゃ高子としたら、そんなものの道具にされたらたまったものではない(^^;)。反発するのも当たり前である。
それでも「一応、基経も基経なりに高子を愛してるんだろうな」と思うのもまた、この台詞があまりに回りくどい（…）から。
早くに父を亡くした兄妹、実質的な保護者である兄としては、妹に他の姫に負けない幸せを与えてやりたいと思うのも当然のことだろう。高子を東五条第から連れ戻す場面で、基経は「女人としては、この国で最高の地位となる」と言うが、そのときの基経の表情には一瞬、紛れもなく妹への愛情がにじみ出る。そんな地位におまえをつけてやりたいんだ、って感じの。尤も女にとっては地位よりは気持ちが大事なのは今も昔も同じこと、高子には「それだけじゃないでしょう！」と反発されてしまうのだが(^^;;;;;)。基経は、なまじ切れ者ゆえにあんまり顔に気持ちを出さないから「言いたいことを言う」高子には、そのあたりがどうも理解してもらえていない感じがする。日頃の所業からすると、まあ、仕方がないかなー。
高子を業平に略奪されることはもちろん、藤原一族の繁栄のためには許し難いことである。だが「基経の妹を」という言葉の裏にはそういう利害だけでなく、兄として保護者としての彼なりの愛と、だからこそ仁王のごとき形相となり、太刀をも抜いた激しい感情があるように思える。全編を通じて基経が怒ったりうろたえたりするのにはすべて高子が絡んでおり、結局のところ兄は妹に振り回されっぱなし、って訳だ(^^;;;)。
この場面で基経が業平を斬らないことについて、たあたんは「歌劇」で「（斬ったところで）何の得にもならないからなんです」「（業平に）情けをかけたように見えないようにやっています」と語っているが、私としてはもうひとつ、考え過ぎかもしれないけど「やっぱり、感情にはやって妹を悲しませたくなかったのかなあ」なーんてことも思っている。
この、愛情表現もなかなか複雑な「ウルトラマンの怪獣」（な、なんちゅう表現…^^;）は、たあたんにとっては敵役・悪役の集大成であると同時に、柴田作品のキャラクターとしても久々にピーンと通った役だったな、と思う。なんつうのか、役のスケールが大きいのである。悪いって役はたくさんあるけど、なまじ悪いとどうしても脇へ脇へと寄ってしまい、その分劇中に占めるウエイトは違う方向になりがちなものだが、この作品における基経の場合、思い切り悪いのに真ん中の線を踏み外さない。前にも他のコーナーに書いたけど、『あかねさす紫の花』の中大兄皇子と同系統、とでも申しましょうか。まあ、たあたんがやったからそうなったのであって、他の人ならまた違う展開が待っていたのかも知れないけど。
いつだったか「スターの小部屋」で稽古場風景を放送したとき、そこに映るたあたんに「え？」と思ったことがある。どういうのかな、異様だった、とでも言うのか。もちろん基経のお稽古なんだから、ご本人曰く「きっと凄い顔してると思う」って顔だったのは確かだけど、こわーい顔ならヘンちゃんのお稽古だって結構なもんだった。そういう見た目の異様さではなく、彼女の全身を取り巻く雰囲気というか、何だかいつもと空気が違うって感じがしたのである。
「別物になってしまっていた」と言うのでしょうかね、ああいうのを。まったく別の何かがたあたんの中で動いている、そんな感じ。特に「…」だったのが閣議の場面で座っている姿。目つきから表情、仕草に至るまでどこにも普段の姿はなく（声は残念ながらトークと被っていて聞こえませんでした^^;）、これはたあたんではないゾ！と背筋がゾーッとした。総毛だった、っつうのか…。彼女の場合「役になっちゃう」はありがちなことだが、稽古している姿を見てドキドキしたのは久しぶりだった。そうかぁ、穏やかな笑顔で建物に入っていったと思ったら、中ではこんなことしてたのねー、などと妙に感心してしまった次第（←アホみたい^^;;;;;;;;;;）。
もしかしたらもう、この手の役は見られないかも知れない。それは覚悟もしている。そうなったとき、基経がやれてよかったなって思うのは、この役ほどストレートに勝負できて、なおかつ誰もがその存在感に脱帽した役はなかったような気がするからだ。
…東京でどなたがなさるのか知らないけど、やりようによっては両刃の剣になりかねないこの役、誰が演じるかが公演の成否の鍵を握るように思える。
ちなみに基経と高子、その後も確執と反発を繰り広げる。夫の清和帝から自分が生んだ陽成帝に時代が移ると、高子は何と業平を帝の側近（蔵人頭）に任命する。そして、基経に対しては、その娘温子の陽成帝への入内を拒否。基経が考えたであろう２人の理想的な関係にはほど遠い感情的なしこりは、もはやどうすることもできなかった。怒った基経は、日頃から行状の悪かった陽成帝をわずか１７歳で退位に追い込み、代わって母方の従兄で妻の伯父にあたる５５歳の光孝帝を位につける。良房が無理の上に無理を重ねて高子を入内させ、後世まで伝えようとしたその血統を、結局基経は消滅させてしまうのである。彼はその後最初の関白となり、その子孫は摂関政治の基盤を固めていく。また、末娘の穏子は醍醐帝（光孝帝の孫）の后となって２人の帝を出産、基経の血統は良房に成り代わって外戚としての地位をも確立することになるのだが、それは彼の死後のことになる。
高子は夫や息子の退位後も「スキャンダラスな后」としてその名をとどろかせる。４０代後半にして、菩提寺の僧と密通しているという噂を立てられ（な、何とご懐妊説もあったそうな）、ついには基経の長男時平らによって后の位を剥奪され、元の一女性に戻されてしまう。相手の坊さんは、伊豆へ流罪になったという。恐るべき波乱含みの生涯である。
実際の２人も、きっと気のつよーい同士だったのだろうな…ブルブル！