ダンスを科学する６

で、不思議と「印象に残るダンス場面」がくっついているのである。それも、シャレにならんスペシャル版。決まってしまった事実に対して、今更何を言っても仕方がないけど、世の中はままにならないもんだ。残る回数が少なくなっていくと同時に何とも拭いがたい切なさが強くなってくる…ってな訳で今回は、ただいま上演中の、きっと私たちファンにとっては忘れがたい記憶となるであろうこの場面を。

『凱旋門』のフィナーレは３つのテーマカラーに分かれている。平和の白、自由の青、そして、友愛の赤。それはラストシーンでボリスが振っていた三色旗の色でもある。この場面はそのうちの青にあたり、一応「パリの男たちの歌（出てこないぞぉ…）と踊り」と、プログラムには書かれている。そうか、これってそういう場面なのね、と思うのだが、たあたん以外の人を殆ど見たことがないので(^^;)、どうもそういう実感に乏しい。でも、これで他の人を見るなんて、そんな集中力を削ぐような真似ができようか！というくらい、彼女の動きの美しさと迫力は圧倒的で、改めて「うーむ」といろんなことを考えさせられている。

最初に黒いカーテンの前で紫のスーツにソフト帽のたあたんが１人で踊り、カーテンが上がって大階段に板ついた他のダンサーたちが登場する。テーマカラーにあわせて、それぞれ微妙にトーンの違う青系統の衣装。曲調は徐々にアップテンポのタンゴに変化していく。うねるような音の波。同じ振りを同時に踊る箇所と少しずつタイミングをずらせて踊る箇所があり、最後はそれぞれのポーズで終わる。振付はもちろん謝珠栄さん。私はこの人の振付をこーんなにじっくり見たのは初めてだが、見ていて、なるほどダンスは全身運動だな、と妙に納得させられる振りだと思った。最近の雪組は「ショーの演出家の偏り」という、彼女たちには何ら責任のない理由から、どうも「あら、またこの先生？」ってのが多かった。例えば「ささみの手」「香寿さん、それは『オカスィ』」でおなじみ、大谷盛雄さんとか。それが別に悪いってわけではないけど、見ていてワンパターンだな、という印象は否めなかった。妙に上半身だけがバタバタしている、など。謝先生の振りはその点「こういうポーズもとるか!?」と思うことがままあり、見ている側としてはとても新鮮だった。尤も踊っている側はつらい、かも知れない。膝と言わず腰と言わず、とにかく全身のありとあらゆる部分を使っている感じがするのだから。全員でジャンプしたり、足を高々とあげたりという、パフォーマンスめいた動きは殆どないが、その分、人間の内面の様々な感情を表現している、という印象を受ける。ショーよりは芝居向きな振付家なのかも知れない。

以前にも書いたかも知れないけど私は、雪組、というかたあたんが出る公演を見るときは、一応プログラムに目を通して「あ、ここは出るんだ」と予習しておくタイプである。ところが今回は、そういう時間がなかった…電車の待ち時間が異様に長く、いつものごとく劇場１階のプログラム売り場で買って客席に入ったのは、開演の１５分前を切っていたのである。だから、プログラムは殆ど「とばし読み」って感じだった。『デパートメント・ストア』なんかは、まーったく予習ナシでの初観劇だった。ところが、『凱旋門』のフィナーレだけは、何故かプログラムをちゃんと見ていたのである。これには理由があって「パレードの扱いが気になったから」。新しい専科制度、という「爆弾」が投げ込まれてから実質的には最初の大劇場公演、当事者であるたあたんの扱われ方はファンならずとも気になるところであっただろう。事前に「フィナーレの扱い方も検討中」なんちゅう新聞報道があったから、余計である。で、それだけは確認しておく必要があると思ったので、プログラムのそこの部分には目を通しておいた。だから、その前と２つ前の場面にもたあたんが出てくること、そのうちのひとつは彼女が芯になる場面であることは知っていた。

でも実際、暗い舞台にスタンバイしているのがたあたんだという実感はあんまりなかった。ひとつには、衣装が紫だったこと。雪組で紫、というと、殆どとどさんの専売特許で、絞ったスポットに浮かび上がった細身のシルエットと相俟って、ちょっとたあたんには見えにくかった（失礼かしらん？）。それと、特にダンスでは今まであまり場面に恵まれてこなかったので、まさかなあって意識が付きまとっていたのである。周囲も同じだったようで、多分初日は、それが誰なのかわからないままに拍手していたと思う(^^;;;)。だから、踊り始めてすぐに帽子を一度取るところで、周囲がざわめいていたのを覚えている。しかも、全然誰も出てこない！たあたんが舞台上で１人で踊っている時間はわずか４０秒ほどなのだが、それでも１人きりでとなると結構長く感じられるものである。「えー、こんなんさせてもろて、ええのん？」…こういう展開だとは予想もしていなかったので、思い切り驚いてしまった。

導入部のピーンと張りつめた雰囲気、大階段が出てきてからの、バックを引っ張る力強さ、どちらも彼女ならではの動きの美しさとしなやかさがある。導入部では、流れるような動きから、曲に合わせて静止を繰り返すのだが、そのポーズはピタッと止まって、少しも揺るがない。もともと質感のあるダンスをする人だと思っていたが、ここまでまざまざとその技術を見せつけられたのは、もしかしたら今回が初めてかも知れない。何せたった１人のその存在感が、舞台上の空間を完全に支配しているのだ。大劇場で、１人で舞台に立って歌っている姿やら踊っている姿を見たのは何度かあるけど、あの大きな空間をこういう風に支配するというのはちょっと記憶にない。たあたん自身、こういう系統のダンスは「花組ぶり」(byお茶会）だそうだが、その、今よりももっと身体が動いていたと思われる（若かったから）花組時代には、その代わり空間を支配する力はまだ備わっていなかっただろう。どこが変わったのか？というのはすなわち、お茶会でも言っていたように「学年を重ねただけのものは身に付いているかな」という、実際は目に見えない部分なのだ。その目に見えない部分がある種のオーラとなって、彼女の身体から放射されているように思われ、その静かだが圧倒的な力の前には客席の空気までもが静まりかえってしまう。

このダンスを見て「下手に客席に媚びないところがいい」という意見を述べた人がいる。同じように踊っても、観客に対して自分をアピールせずにはおられない人も中にはいるだろう（これ書きながら「あ、○○さんってそうやん」とか思ってしまった^^;;、さて誰のことでしょう…？）。だけどたあたんの場合、こういうダンスでは「自己表現」が内面に向くというか、客席を意識しては踊っていないと思う。一応客席の方も向くけど、見ているようでいて何も見てない、ような気がする（でも、見てないようで実は見ていたりするんだけど^^;;;）。だから、その表情から意識的な笑顔が消えてしまうのはもちろんだが（笑顔で踊る場面ではないわな）、時として「こんな顔見せてもいいのかなあ」とこっちが思ってしまうくらい、歪んだような表情になることがある。無表情というのではないけど、無感情とでも申しましょうか。見ていて「シンドイのん？」などと考えてしまったりするが、ご本人にしてみたら「こういう顔してはいけない」という意識すらないんだな、きっと。

アップテンポになってからも、バックを引っ張りながらしなやかに、しかも力強く踊る。大階段から前に出てくる時の弧を描くような足の運びが日毎になめらかさを増してくるのを見て、友人Ｎ嬢などは「あれが他の誰にできるっていうのよぉ！」と阪急電車の、しかも京都線の中で叫んでいた(^^;) 。私はその前の、大階段にちょこんと座った時のポーズが、足の先までピーンとした感じなのが結構お気に入り。どの動きも本当に緻密で、謝先生の綿密に計算された振付を忠実に表現しようとしていると思う。そして、誰よりも必死に踊っているように感じる。彼女はいつでも、人一倍一生懸命なのだ。尤もご本人は「まだまだ、先生に言われたようにできてなくって…」(by お茶会）。あれで不十分！　謙虚というか、その果てしなき向上心には呆然としてしまう。こういう人だからこそ、謝先生も彼女にこの場面を任せたのではないか。作品全般を通じて一番難度の高い振りがたあたんに付けられているな、と思うが、踊っている全員が同じ振りであることが多い他の場面と比べ、この場面は明らかにたあたんを中心に据えて、彼女が他のダンサーたちを引っ張るような構成になっているのである。もちろん、他の人よりもちょっと振りは難しいし、真ん中最前列なだけに間違えれば目立つ。そこを任されているのだから、劇中とショー場面との違いはあるけど、振付家としての踊り手に対する大きな信頼が伺える。おそらく「雪組に香寿ありき」で考えられたであろうこの場面。それだけに、今回の突然の予定変更が投げかける波紋は、私たちが思っているよりも大きいような気がしてならない。

背後で踊るメンバーたちの動きは、もう千秋楽が近づいているというのに未だにまともに見たことはないが(^^;;;;;)、真ん中でこういう風に踊られて奮起しないわけはないだろう。名ダンサーが即ち名ダンスリーダーであるとは限らない最近のタカラヅカにあって、たあたんは常に後ろで踊る下級生たちの良き手本であり続けた。雪組で「準トップ」と言われていた２年半は特に、雪組のあらゆるダンスシーンをリードしてきた。この場面はその彼女が雪組に残す、それこそ「最後のダンス」である。背後で踊る、これからの雪組を背負っていくと言われている人たちは、このダンスに何を思っているだろうか。

今、こういう局面を迎えてしみじみ思うのは、なーちゃんが培い、たあたんが受け継いできたもの―この場合はかつての「ダンスの花組」なのだが、それを、次に誰かに引き継ぐことは果たして可能なのだろうか、ということ。動き出した新しい制度が何もかも良くないというつもりはないけれど、今回のことで今までたあたんが作り上げ、いつかは誰かが「この人はタータンを受け継いでいる」と言われるはずだったものが、根底から否定されてしまうことになるのではないか。今の彼女がどこかの組のトップスターではないからと言っても、そのことによって「香寿たつきの芸が下級生に引き継ぐべきものではない」ということにはならない。まして、トップスターであってすら継承するにふさわしいものを持っている人が少ない現状だから、仕方がない、などということで片づけられる問題ではない。今ここでその連鎖を断ち切るすることは即ち、宝塚歌劇が９０年近い歳月に作り上げてきたものをも捨ててしまうことにつながるような気がするのだ。

実は私が初めてこの場面を見たとき、すぐに頭に浮かんだのは「この曲ってポピュラーで、著作権に触れてるってことないやろね？」。過去にたあたんの良い場面で、ビデオではカットされてしまったものが結構あり、その中の１つが同じようにアコーディオン（バンドネオン、かな？）の伴奏によるタンゴだったのである。だから「まさかなあ」とは思ったものの、ちょっと不安だった。だから２回目に見たときに「あ、この曲だったんだ」って気づいてホッとしたものだ。それが、寺田先生作曲の「金色の雨」だった。

「きんいろ」じゃなく「こんじき」なのね、なんて、プログラム読まなきゃ気がつかなかった。まして、劇中で主人公ラヴィックが歌っている曲だなんて気づきもしなかった(^^;)。かの『エリザベート』の「闇が広がる」ですら、初めてみたときはフィナーレのダンスに使われていることには気づかなかったのだから、仕方がないかも知れない。今回も、タンゴ調にアレンジされているので、ちょっと違う曲みたいに聞こえたのだ。

「昭和の『ベルばら』世代」の私にとって、寺田先生の曲というのは「初めて触れたタカラヅカ」の思い出そのものでもある。今でこそ「愛や夢なんてそんな言葉、もうシラケるから誰も使わない」（さて、この言葉どこで聞きましたか？）などと揶揄されるが、それでも「愛あればこそ」にはちょっとした思い入れがあるものだし、他にも、思い出に残る名曲がたくさん頭に浮かぶ。もちろんその中には「アマールアマール」や「明日になれば」のように、たあたんによって歌われた曲も多数ある。

今年３月に行われ、たあたんも出演した寺田先生の作曲家生活４０周年記念コンサートのプログラムが、見てもいないのに何故か我が家にある。ある人からいただいたのだが、この文章を打ちながらそれをパラパラめくっていると、本当にたくさんの作品を作られたんだな、と改めて気付かされる―２１世紀を目前にして新しい試みや制度が表面化してきたときの、突然の訃報。寺田先生亡きあと、タカラヅカはどのようになっていくのだろうか。そして、先生が残した最後の曲をバックに踊るたあたんの胸中には、どんな思いが宿っているのだろうか…。

短いつき合いになってしまった場面で、しかも他の人が踊るかも知れないというのは、私たちファンにとっては身を切られるようなつらさと痛みを伴う。だけど私は、あの空間を支配し客席を圧倒する静かな力を出せるのはたあたんしかいないし、他の誰がやったとしても、きっとたあたんほどは舞台の神様に愛されないだろう、と確信している。