歌を科学する６

私の職場では、毎年この時期になると「早朝防災訓練」が行われていた。朝から大災害が発生したというふれこみで、普段よりも１時間半も早く出勤するというシロモノであった。何故か今年はない。諸般の事情で別の時間にやるそうなのだが、完全に自力で出勤するのならともかく、形だけ早く起きて出勤したところで何になるねん!?と思っていたから、内心ホッとしたりしている。

阪神大震災からまる５年、ってことで、あちこちで「早いもので５年経ちました」という事が語られている。マスコミの取りあげ方も、心なしか例年よりも多いような気がする。地震のことは５年という月日の中で確かに薄らいだような気はする。でも、どんなに時間が経ってもいやされない記憶、忘れられない思いは確かに存在し続けている。私の胸の中にすら。

『風に吹かれて』という作品は、正直に申し上げると、私が今までに見てきたバウ作品の中では５本の指に入るくらいに「くっだらない作品」であった。最初に私は「横澤先生」と聞いて「こらきっと、ヤマがないぞ」と思い、一応あるという原作を探し回った。で、当時の職場の近くの図書館でその本を見つけ読んでみたのだが「何でこれを宝塚でやってみたいねん!?」というのが正直な感想であった。このＨＰをご覧の方で読まれた方もおられると思うけど、多分同じようなことを思われたのではないかな。とにかく主人公の生き様が、およそ舞台化するようなものではないのだ。競馬とか、投資とか、銀行とか…

にもかかわらず私は結構はまりまくり(^^;)、足繁く通ってしまった。原因のひとつは、私が初めて見たたあたんの主演作だったってこと。彼女の初主演は言わずと知れた『セ・ラムール』だが、私はもう興味を持っていたにも関わらず何故か見ていない。バウのチケットの入手方法がわかってなかったせいもあるし、なんちゅうのか、見に行くのが面倒くさかったっていうのもある。でも、もしも『セ・ラムール』を見ていたなら、この作品などはボロクソに言っていた可能性があるので、或いはこれはこれで良かったかも知れない。

それから、この直前にロンドン公演があり、たあたんの舞台に飢えていたこと。帰国後の『ライド・オン』は見事に玉砕してチケット入手できず、２日間サバキ目当てに通うも敢えなく？沈没していた。だからこのときは、およそ半年ぶりに見る「生」たあたんだったのである。

もうひとつ原因を上げるとするなら、たあたんのトシオがあまりにも爽やかな青年で、結構親近感が沸いたから、だろう。原作を読んだときは「何だかしんねり強い感じの青年」って気がしたのだが、たあたんのはひたすら爽やかで明るく前向きな、いわゆる「いいひと」であった。今ならそこに物足りなさを感じてしまうかも知れないのだが、当時はもうもう「いてくれるだけでいい」状態だった。

ダンサーを夢見てニューヨークに渡った日本人青年トシオは、とあるパーティーで足を負傷し、その夢を断たれる。彼はそのパーティーの主催者だったアキコ・ドノヴァンの勧めで西海岸のシアトル近くにあるベインブリッジ島に渡り、そこで新たな生活を始めようとするのだが、その地でスウェーデン系移民の娘モイラと恋に落ち彼女との平穏な未来を夢見る。だが、もう一度踊りたいという夢を捨てきれず、結局はニューヨークに戻ってしまうのだが…。

こう書くとおもしろそうに思うけど(^^;)、これがなかなか難物の連続。何せ出てきては同じ曲を歌いまくるので、見ている方は「うまくなければ聞いてられない」状態だった。この作品、何故か歌手もダンサーもテンコモリに出ていたので、技術的に「聞いてられん」って人が１人もいなかったのである（幸か不幸か）。だから、話のつまらなさ・唐突さはともかく、見るのが苦痛ってことはなかった。

表題の「仮面舞踏会」は後半になって登場する。モイラの仲間のパーティー（これがいわゆる仮装パーティーだったりする）に誘われたトシオは、島のアマチュアダンサーたちを指導してダンスを披露する。彼はそこでモイラの祖父ヨーハンに出会い「ダンスは魂だ」と教えられる。このときヨーハンの求めに応じて歌うのがこの曲。ヨーハンじーさんはナガさんが演じたのだが「この曲は『仮面舞踏会』だ。知ってるだろ」って台詞があって、思わず「知らん！」と突っ込みたくなってしまった(^^;)。で、じーさんがガウンを脱ぎ捨てて踊り始める。凄い滑稽な展開なのだが…これが、初めて見たとき「鳥肌が立った」瞬間だったのだから、恐れ入る。

初めはじーさん１人で踊っているのだが、２人の織りなす炎に和するように、１人また１人と踊り手が増えていく。そして全員の群舞に。トシオ自身も、気が付いたらその輪に溶け込んで踊っていた。踊りながら彼の目が燃え、しばらく忘れていた「踊る心」が呼び覚まされる―…

他の曲がフォークソングといってもいいような軽くて明るい曲だったのと比較すると、この曲は重すぎるってわけではないけど短調で、特に高音が多かった。たあたんの歌としては珍しく、どちらかというと朗々とした感じが強い。もちろん迫力もあった。

「仮面舞踏会」は別に名曲ではない。それほど難しい曲だとも思えない。でも、その一瞬に放たれた光芒というか、場面をぐわーっと盛り上げる力の大きさは凄かった。これはもちろんたあたんの力量なのだろうけど、それまでの穏やかだった物語が、その場面だけ炎になって燃え上がったような錯覚さえ覚えたのである。

私にとっては『闇が広がる』に勝るとも劣らない衝撃度であった。でもそう思った人は私だけではなかったようで、近くの席の人たちが「あんな場面があるなんて…ビックリした」と言い合っていたのを覚えている。

この作品が東上すると知ったときは「これ持ってっていいの？」と密かに思ったりした(^^;)。全体的に見たら、いくら贔屓目に見ても「駄作」であったことは否定できない。でも、たあたんの底抜けの爽やかさと「仮面舞踏会」の迫力が楽しみで、間にあった『雪之丞変化』のつまらなさも何とか乗り切れたのである。でも、世の中そうそう甘くはなかった…地震が来たのだ。初日の３日前、あとから聞くと「東京へ出発する日だった」という。

この日から毎日、駅でスポーツ紙を買う生活が始まった。最初の２日間はロクに電話も通じず、あるのかないのかもわからない。当時私はＦＣとは無縁な生活を送っていたので、情報は全く入ってこなかった。昼休みになると職場の前の電話ボックスから東京まで電話をかけ、果たして公演が行われるのかどうかを確認したが「初日は中止です」としかわからなかった…で、初日の翌日になるはずだった２１日の朝刊に「中止」という記事が載っているのを見つけたときは、心の中にぽっかり穴が開いたような気分だったのを覚えている。

その夜、寝床の中で悔しさのあまり涙が止まらず、何でこんな目にあうねん！と怒りにふるえながらたあたんに初めて手紙を書いた。

確かに「やらなくても良かったのかも知れない作品」ではあった。でも、その後３年半もたあたんが抱え続けた無念を思うと、もう少し何とかならなかったのか、と今でも悔しい。特に昨今、『風に吹かれて』以上の「駄作」でも簡単に上京したり、初主演作の東上が当たり前になりつつあるから、余計だ。それが名作『凍てついた明日』に巡り会うまでの試練だったにしても、彼女にだけそういう試練があったのは未だに納得できない。

もう５年が過ぎてしまった。『風に吹かれて』の出演者も、半分以上が退団している。出演者の中には、まだ下級生だった汐美真帆、貴城けい、貴咲美里なんて顔ぶれが混じっていたのも懐かしい。

いつかは地震の記憶も、どこか遠い過去の物語になっていくだろう。でも私は、地震が壊してしまったのは目に見えるものだけではない、目には見えないけれどもう帰ってこないものだってあるのだ、ということを、あのバウホールの炎のような瞬間と共に、いつまでも覚えていたいと思う。

奇しくもあのときの初日と同じ１月２０日、「準トップ」と言われる立場になったたあたんのディナーショーが開催されようとしている。