台詞を科学する４

　実は今回、この台詞よりも先に「こっちを書こう」と決めていたのがあった。それを書くつもりでポチポチ打っていたのだが、なかなか進まない。うーん、困った。この台詞を科学したいと思って、いろいろ考えすぎたせいかもしれない。こういう迷いがあるときはすんなり出てくる方を先に打つに限る。ってなわけで、少々予定外ですが（好きな作品は出し惜しみするタイプでして…）いかせていただきます。

この作品、上演されてからまだ２年しか経っていない。たった２年！この間にたあたんの身の上に起こった激変を思うと、何だか「うそみたいだな」と思う。短い２度目の花組時代に唯一２本立てだった公演のうちの１本。つい先日もハイビジョン放送されていたし、まだまだ記憶に新しい作品である。

たあたんが演じたレスリー・シュワルツは、過酷な労働条件の下でハリウッドの下請けライターとして脚本作りに励む若者。年齢的には、２０代の中盤から後半ってところだろうか。みきちゃん扮する敏腕プロデューサーのアーサーに、自ら売り込んで採用されたという過去を持つ。ライターズ・ルームのチーフ的役割を担い、将来を嘱望されている才能豊かな青年で、マネージャーのヘレンという、年上？の恋人もいる。

だが、彼が聡明であるが故に悲劇は起こる。「才能がない」という理由で簡単に使い捨てにされてしまう、あまりにも過酷なライターたちの状況を見るにつけ、彼は「みんなで立ち上がらなければ」とユニオン（労働組合）の必要性を感じ始めるのだ。当時のハリウッドでそういう思想を持つものは、当然のように「危険分子」として排除された。レスリーも、自分で気付かないうちに、張り巡らされた運命の糸に絡め取られてしまう。そして…。

問題の台詞は、物語の大詰めに登場する。この場面は皆さんまだまだ強烈に覚えておられるだろう。暗いライターズルーム、すっかり面変わりしてしまったレスリーが、鬼気迫る表情でポツリポツリとタイプを打っている。会社が差し向けた暴漢に襲われて怪我をした彼は、もうかつて「グローバル一優秀な若手ライター」と言われた頃のように流暢に打つことは出来ない。打てなくなった手を震わせ、タイプした紙を覗き込んで「こんなはずはない」と自分に言い聞かせるように、またタイプに向かう。その姿にはすでに、何か「普通ではない」ものが漂っている。そこへヘレンが現れ、彼宛の郵便物を渡す。それは、元気なら彼が担当するはずだった『青春の凱歌』という映画のワールド・プレミアへの招待状と、悪意と罠に満ちた手紙だった。

レスリーはこのとき、自分でそれと気付かないうちに深みにはまり込んでしまった「罠」＝「テンション」のために、普通の状態ではなかった。「テンション」とはおそらく覚醒剤かなにかの一種なんだろうけど、アーサーを失脚させるために社長のハリーが引き抜いてきたマックスが、レスリーの正義感に危険を感じて与えた薬だった。彼は自覚がないままに、その薬の中毒になっていたのである。普通の状態であれば、その手紙がいかにも「出鱈目」だってことにすぐに気付いたはずだが、ここにいたるまでにいろんなことを吹き込まれ、薬によって異常な精神状態に置かれていた彼を狂わせるには十分だった。レスリーは机の引き出しから小型銃を取り出し「（真相を）確かめて吐かせてやる！」と叫ぶ。ギョッとして「どうしたの、それ!?」と咎めるヘレンに応えてつぶやくのが、この「退院してから手に入れた…」。

このときのたあたんの表情が忘れられない。唇の端に薄ら笑いを浮かべ、右手に持った銃をちょっと「恍惚」とした目つきで見つめていたのだが…私は「ぞーっ」とした―まともな目ではなかった。これが役者の持つ狂気というものなのか、と思ったのだ。

この役はもともと、たあたんの持つ「狂気」（もちろん、舞台上での、です）に焦点を当てて描かれた役だった。「歌劇」の座談会の中で、作者である小池先生が「香寿さんは大変安定感があるお芝居をする人ですが、『エリザベート』のルドルフは、ある種狂気みたいなものが見える役創りで成功していたと思います。常に青春真っ只中の青年というよりも、その中に狂気のようなものがある方が、彼女は生きる」ってなことを言っておられる。未だに語り草になっているルドルフの「いっちゃってた目」は、確かに「普通の人の普通の目には見えないものを見ている」って感じがしたが（こわかった…）、結果的に導き出されたものであっただけに、それが単なる「哀れ」に見えるときもあった。

ところがレスリーは違う。これは「狂気」にならねばならんのである。まったく、小池先生も奇妙なところに目を付けたものだと思う。時には「今日は狂ってない」ってこともあったが（のめりこめないんでしょうな）、大抵は「戻ってこれるかなあ」と思うくらいで、本当に怖かった。目の下のクマもだんだん激しくなり、東京公演の終盤など顔見ただけで怖かったようだ。

この場面のいくつか前、まだユニオン結成に燃えていた頃、彼は友人ピーターのことでアーサーの理解が得られなかった事に失望してつぶやく、「やっぱり自分のことは自分で守るしかないんだ」と。ユニオン結成は、自分や仲間の「身を護るため」の手段のはずだった。だが、薬で理性を狂わされ、暴漢に自分の人生をメチャメチャにされたのち、彼は銃を手にする。それが「身を護るため」の道具になってしまった。もはや彼の中には、かつての理想はない。友人や仲間のことも―あまりにも哀しい結末である。だが現実にある様々な不当労働行為を思うとき、会社の介入によって人生を狂わされたレスリーのような悲劇は、程度の差はあれ、どこにでも起こり得たことなのだ。それだけに、最初の清々しい笑顔とのギャップがいたましかった。

と同時に、この役と「狂気みたいなものが見える役創りで成功した」ルドルフとの近似性も感じた。近似性、というよりは「レスリーってルドルフと同じだね」って方が近いかな。理想に燃え、誰かに認めて欲しく、「母なるもの」に弱くって、他人の虚言に操られやすい。『エリザベート』の世界を『失われた楽園』に置き換えるとするなら、アーサーが父フランツ、マックスがトート、ヘレンがエリザベート、ってところかな。で、最後には「父母」を殺し、自らも銃で頭を撃ち抜いて生命を断つ…東宝劇場で見たとき、髪型のせいかレスリーがルドルフそっくりに見えたのを覚えている。だもんで私は今でも「もうひとりのルドルフ」と呼んではばからないのだ。尤も近似性があるのはもちろんたあたんのルドルフとだけで、他の人のとは似ても似つかないんだけど。

そういえばこの役以降、たあたんが演じる若者にはどこか「狂気」の影がちらつくことが多くなった。アシュレしかり、数馬さんしかり、クライドしかり。これはいいことなのか、それとも…。ちょっと考えてしまう。